「スポットライトを浴びるピアニストではなく、彼らを陰で支える調律師の存在に光を当てる異色ドキュメンタリー。次々と高いハードルを課す完璧主義者のピアニストと、職人としての意地とプライドを懸けて、無理難題を丹念にクリアする、ピアノの老舗ブランド・スタインウェイ社の技術主任を務める、ドイツ人調律師シュテファン。究極の響きを求めて、両者一歩も譲らぬ“ピアノマニア”同士の共同作業の模様が、時に緊迫した、時に平穏な空気の中で映し出されてゆく」
紹介文だけ読むと、トップ調律師に焦点を当てたというフックはあるものの、まあよくある音楽ドキュメンタリーを想像すると思う。ああ、シュテファンはこういう経歴でこんな生き方をしてるんだ、あのピアニストってリハーサルではこういう性格なんだ、ピアノのあそこをこうするとああいう音になるんだ、いろいろがんばってこんな素敵な音楽が出来上がるんだ、といった感じの。
そんなつもりでいたもんだから、実際に観たときの異様さに圧倒された。じつはこの映画、シュテファンという調律師自身であったり、有名ピアニストの誰々だとか、さらには音楽自体にも、あまり関心がない。そういったパーソナルな話を極力そぎ落としてまで徹底的に描いたのは、「物としてのピアノ」。「楽器としてのピアノ」ですらない。ピアノの物体性。マシーンとしてのピアノ。
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